2011年4月1日金曜日

ブログ引っ越しました

アクセスありがとうございます。

写真のアップが行えず(無料の範囲内で)、下記に引っ越ししております。
名もちょっと変え、桜井まほろば日記となりました。
http://oshin822.blog39.fc2.com/
無理のない範囲で、続けていくつもりです。


よろしければ、今後もご贔屓に。

2011年3月21日月曜日

電気製品の寿命

我が家の電気製品に故障が続いている。
灯油のヒーター、浴室の換気扇。
これらは冬の寒さもあり、すぐに修理したのだが。
続いて、炊飯器と髭剃り器、10年ちょっとの使用なので寿命なのかな。
職場から炊飯器は譲り受け、髭剃りは充電が出来なくなっているので買わないといけない。
最後にパソコンなり。
少し前にCドライブのみ再インストールしてすっきりした感じであったが、やはり突然の再起動が収まらない。
で、ヤマダ電機で春モデルを物色し、店員さんと時間をじっくりとかけ値引き交渉の結果。
ノートPCに買い替えました。
機械ではなく電子製品となると、修理もままならない時代となっている。
便利になった反面、使い捨て文化は資源の面でもっとリサイクルをしないといけないなぁと思う。

写真を載せられなくなったので、ブログの引っ越しを準備中です。

2011年3月15日火曜日

がんばれ!春はそこに

大震災後に、電力供給問題や原発事故による放射能漏れの二次災害の混乱が連日TVで流されている。
震災後に救出された人たちもいて良かったとしみじみに思う。
世界が注目している中で、商品への略奪がない日本の現実に驚いているという。
世界で孤立しているような日本人観が、実は世界に抜き出ていた人生観を持っているのだと実感できた。
改めて震災に襲われた方々のご冥福をお祈り致します。

生命の再生。そんな季節である春はもうそこに来ています。
そんな写真を載せようかと思いましたが、ブログから容量不足のメッセージで行えず。

2011年3月13日日曜日

1260回目のお水取り


奈良時代の752年に始まったとされ、今年で1260回目。


練行衆と呼ばれる11人の僧が、15日未明の満行まで本尊の十一面観音の前で罪を悔い改め、五穀豊穣や人々の幸せを祈る。
お松明は、夜の勤行のため、参籠宿所から二月堂へと石段を上がる練行衆の足元を照らす道明かりです。


僧の付き人の「童子(どうじ)」と呼ばれる男性たちが担ぎ、14日まで毎晩続きます。


飛び散る火の粉を浴びれば、その年は無病息災と言われます。

2011年3月11日金曜日

大災害

宮城県沖で大地震が発生。
帰宅後にTVにかじりつくと、津波に呑み込まれる走行中の車等ショッキングな映像が流れていました。
東京では交通機関のマヒにより、帰宅困難者へ情報提供のためか現況のレポートが流れています。先ほどのTVでは亡なくなられた方は78名のテロップが流れていました。
情報収集に時間がかかりそうですが、甚大な被害は数は桁が違うでしょう。
被災された方や亡なられた方のご冥福をお祈り致します。

大阪では15時前、職員が揺れてる?地震?と。
鈍感な私は、かなり遅れて大きなゆっくりとした揺れを感じました。
眩暈かと間違う様な揺れです。
近年に起こるであろう、近畿圏の地震に対しての防災意識は一気に高まりました。

お水取り

3/8(火)平日を狙って、初めて東大寺のお水取りへ。
17時過ぎに大仏前の駐車場に入ると、係員がおりません。
聞くと、17時に帰ったとのこと。
ゲートの施錠は心配しなくても大丈夫、得しましたね。と観光バスの係員さんより。
先ずは早めの夕食を済ませて2月堂へ向かいます。
人ごみの中をするすると間を抜けて、正面やや南側の5列目付近に滑り込む事が出来ました。
18時過ぎで振り返ると結構な人が既に集まっています。

これ以上前に進むと、火の粉を浴びてダウンコートに穴が開く恐れが。
また、上を向いての撮影はしんどいので、程よい距離と判断し待機します。

お水取りの説明や撮影の禁止事項等のアナウンスが流れます。
「最後に拍手はご遠慮ください。また、これは修行で観光の催しではありません。」
との内容の締めには1260回目の荒行の重みを感じさせられました。

定刻になると、松明が舞台に現れます。
松明の火を見てからは先程のアナウンスなどすっかりと忘れ、飛び散る火の粉に魅了されます。





松明を回すと豪快に火の粉が飛び散る。

2011年3月6日日曜日

藤原京跡

休日に大和三山の耳成山でも登ってみるかと思いついたのは良いが、山の全景を撮影してからとウロウロ。
近いと住宅が写りこむので、足を伸ばしました。
平城京遷都祭が終ったからか、藤原京跡は何もない原っぱと化しています。
去年に見られた赤柱も撤去されている。
一回りすると、、藤原京跡地内の一角は畑でしょうか、耕してあります。
史跡跡として管理されているとばかりに思っていましたが野菜を育てている方がいるのですね。
しかもそんな畑からはゴルフボールをあちこちで見つけました。
どうりで不粋なゴルフ禁止の立て看板があるはずです。
興冷めな気持ちを持ちつつ、古代の大通り跡から耳成山を望みました。
赤柱の跡が少し寂しい。

大極殿跡の木立ちの中であるものを探します。

というのも、とあるTV番組で大学教授がリポーターを案内する際に、ここで無造作に石を取り。
これは当時の瓦の破片ですね。
といったシーンが脳裏に焼きつき、確かめるため。
探すと確かに有ります。
石ころとは違い、文様がついています。

当時の瓦かどうかは、私にはわかりませんが。
こんなに無造作にしておいていいの?
奈良人の心意気かなぁ。
何もない中で、見つけた花を撮影しました。